僕は“あれ”を眺めるのに夢中だった。 この目で、もっと近くで見てみたい。 映えスポットみたいなものだと、半ば強引に彼女を誘ってこの高台までやってきたのだ。 ここは本当に良い眺めで、港の向こうに浮かぶ球体がよく見える。 しかし今日はやたら日差しがきついし、人間が溢れ返っているし、それと変な集団も多い。 ついさっきも、通りにあるパン屋から、やけに不機嫌そうな男が飛び出していくのを見た。 こんなに暑いからな。 こんなに暑いと── 「アイス、溶けてるよ」 「あぁ」 彼女の一声で意識を引き戻された僕は、傾き始めた棒アイスに慌ててかぶりつく・・・が、手持ちの棒だけを残してべしゃりと崩れ落ちた。 アスファルトに散った氷の粒がみるみるうちに溶けて消えてゆく。 「もう、早く食べないから」 「でもほら、“当たり”だって」 僕は当たり棒を指さして、大丈夫だよという風に笑って見せた。 突然、金属が擦れるような、うねるような、今まで聞いたことのない重低音が、足の裏から腹の底へ響いてきた。 思わず身をすくめる。 「か、雷・・・?爆発・・・?」 見物に来ていた群衆は、騒めきを飲み込まれたように黙り込み周囲を見渡す。 一瞬の静寂、初夏の強烈な日差しが、ジリジリと一層強くなった気がした。 さっきまで勝手気ままに騒いでいた人間に取って代わり、今度は協調性のないセミ達が狂ったように騒ぎ立てる。 「何、今の?」 彼女が弱々しい声を漏らす。 不安そうな顔で袖を掴んでくる彼女の眼には、うっすら涙も浮かんでいる。 今日はもう帰ろう、そう声を掛けようとした瞬間、あの重低音が再び響いてきた。 やがてそれは一定の間隔で次第に大きく、力強くなっていく。 迫りくる焦燥感、全身に汗が噴き出す。 「あの球体だ、あの・・・“点P”から聞こえてくるんだっ!」 群衆の中から声が上がった途端、恐怖が一瞬で伝播し支配してゆく。 我先にと他人を押し退け、喚き、逃げ始める人々。 混沌、人の濁流。 画面が飛び散ったスマホ、引きちぎられたカバン。 我が子の名前を叫ぶ母親、踏みつけられる少女。 ──そうだ。 これは鼓動だ。 そしてこれは息吹だ。 僕の身体を必死に揺さぶる彼女が視界の隅に映る。 きっと、早く逃げようと訴えかけている。 しかし最早、僕の全神経が、あの点Pに注がれている。 ──僕の、平和で幸せで、少し退屈な日常が終わろうとしていた──